土御門上皇の話に行くまえに・・・今朝の徳島新聞の1面です♪
徳島市の川西遺跡で、河川で最古の石積み護岸の発掘記事が・・・!!
これは国土交通省の徳島南環状道路工事にともなう調査で発見されました♪
この徳島市の郊外に計画された環状道路の建設に伴い、日本的発見が相次いでいるのです♪
そこには日本の歴史を覆す可能性を秘めた遺跡も・・・(@_@;)!!
14日(日)に現地説明会が行われます!!
実は・・・14日は・・・四国選手権トライアル大会第5戦愛媛大会とバッティングしています・・・。
悩みに悩んだ結果・・・午前中の現地説明会に参加し、その後高速道路を使ってトライアル会場の四国中央市川之江の「明和トライアル場」へ直行!!
午後の競技の写真を撮る・・・・・・・事にします・・・(汗)!!
本当は・・・エンジョイクラスにエントリーする予定だったのですが・・・、この遺跡の存在価値の大きさに、気持ちが傾きました・・・。
(*^_^*)♪
ここのところ、徳島県阿波市土成町を紹介してきましたが・・・。
ここには「土御門上皇」に関係する場所が残っているのです!!
県道鳴門池田線から北へ少し入った田園の中に「土御門上皇行宮跡」があります♪
ここは「御所屋敷」とも呼ばれています♪
このあたりの地名も「御所」なんです(@_@;)!!
承久の変(1221年)で、土佐へ還幸した土御門上皇を都に近い阿波へという幕府の配慮で迎えた場所といわれています。
その行在所の位置については諸説があります。
初め「栖養(ずがい)の森」に、のちに1227(嘉禄3)年にこの「御所屋敷」に移ったとし、ここに上皇の歌碑も立てられ、「御所の井」と称する井戸もすぐ北の田に残っています♪
徳島には本当に多くの伝説が残っているのです・・・(^-^)♪
徳島県鳴門市大麻町池谷に「阿波神社」があります!!
鳥居の西には「土御門帝火葬塚」があります♪
山川出版社の「徳島県の歴史散歩」によると・・・
1940年(昭和15年)、徳島県は紀元2600年の記念事業として、土御門上皇を祭神とする阿波神社を造営することにし、もともとあった村社の丸山神社を改称して昇格させました。
県民あげての勤労奉仕で1943年10月に竣工、県社となりました。
土御門上皇は承久の乱(1221年)による犠牲者として、自ら志願して土佐国に流され、さらに阿波に移って37歳の若さで崩御しています・
御火葬所には諸説がありますが、1869年(明治2年)に時の藩主茂あきがこの地を御陵と決め、ました。
また、1872年(明治5年)宮内省が再決定し御火葬塚となったのです。
阿波神社境内入口左前方に掘をめぐらしたその塚がありますが、実際には明らかに古墳(円墳)の形態をしています。
この阿波神社周辺の、鳴門市大麻町から、板野郡板野町にかけての一帯は古墳群が随所にみられます。
この地方が四国、そして阿波の玄関口であったことが立証されます。
おもだった古墳をあげてみると、JR大谷駅周辺では、葛城神社古墳・東林院古墳・宇志比古神社古墳群・阿波神社西山古墳があります。
池谷駅周辺では宝幢寺古墳群・天河別神社古墳群(ともに県史跡)、そしてあの萩原古墳群!!
坂東駅周辺ではぬか塚古墳・光勝院寺内遺跡・樋殿谷石櫃など枚挙にいとまがありません♪