船盡神社から鮎喰川を遡ると、狭い谷間から広く開けた「広野」にでます!!
正面を流れるのが鮎喰川で、右の町並みが五反地の集落です♪
正面には「須佐之男命」伝説のある須賀山、五反地の西の小高い丘の上に「少童神社」はありました!!
町筋を西へと入ると・・・長い石段がありました!!
石段を登りきった所から、東方向を眺めます(^^~
正面の谷が「名田河(なだこう)」、「櫛名田比賣」の住む場所です(^^~
山の向こうに船盡神社があります!!
石段を登った所から、神社までは少し離れています(^^~
まわりは「すだち畑」となっていました(^_^)~
少童神社
祭神 少童命 誉田別命
由来・沿革
創建年代不詳。「寛保神社改帳」に「広野村五反地名竜王宮、祢宜同村森河内」、「阿波志」に「広野村竜祠」と見える。寛文年間火災にあい安政元年(1954)に再建した。明治初年(1868)現社号に改め、村社に列した。境内に観音堂(天明五年(1785)の建築)があり、神仏同居して村の信仰の中心となっている。
「神山町町史」より
「少童神社」は鮎喰川中流域のもっとも谷が開けた広野の川を見下ろす高台にあります。
この辺りは「高天原」の関所にあたり、ここが舟溜まりになったと思われます。
すぐ下流が「天ノ原」、「名田河」からの合流点近くが「天還(あまがえし)」、その上流が「須佐之男命」が宮を造った「須賀山」、さらに「鬼籠野(野は地で「おろち」)」と続きます!!
「大嘗祭」の「阿波に秘められた古代史の謎」を参考にしました(^^~
「龍王宮」「八幡宮」とあります!!
これが隣りにある「観音堂」です♪
境内から東を見た景色です!!
正面に「櫛名田比賣」の「名田河」が見えます(^^~
神社の奥には・・・いろいろなものが・・・!!
小さな石の祠がたくさんありました!!
そして・・・本殿の後ろには・・・。
石棺が露出しているではないですか・・・\( ^ o ^ )/
「神山町史」を見ても石棺についての説明は・・・???
まだ未調査なのでしょうか???
「阿波国」は・・・これが多いのです!!
遺跡が無いのではなくて・・・調査されていないだけ・・・(調査されていたらゴメンナサイ)!!
「道は阿波より始まる」より抜粋させていただきます・・・。
名田河が鮎喰川に交る所に天返(あまがえし)神社があり、この神社の、川を挟んだ対岸に童山(どうざん)があります。この童山を住居にした海人(あま)族の支配者が少童(わたつみ)命、山々の燐端(アキバ)に灯されるたき火で(畝火)方位を知り、また重要な連絡を送る役目。下流以乃津(いのつ)の海人は火高見(ほたかみ)命とも称しますが、実名は童山の大人少童(うしわたつみ)命、勿論航海の神となっています。亡くなられてこの童山山上に葬られました。この場所が少童(しょうどう)神社、神殿の裏側には石棺が露出したままになっています・・・。
(*⌒▽⌒*)♪