「阿波国徴古雑抄」
小杉榲邨(こすぎすぎむら)が生涯をかけてまとめた筆写資料集「徴古雑抄」正編の阿波の部すべてと、続編阿波の部の一部を活字化したものです!!
岩利大閑氏の著作「道は阿波より始まる」を読んでいると、登場してくる名前に「小杉榲邨」があります!!
阿波が生んだ「最後の国学者」と評されるのが小杉榲邨(すぎむら・・・道は・・・には「すぎおみ」となっています)です♪
去年、平成20年の4月に徳島県立博物館の企画展がありました!!
そのタイトルが「郷土の発見 小杉榲邨と郷土史研究の曙」でした。
「安房国忌部之家系」
写本を転写したもので、小杉榲邨による注記があります。
小杉榲邨は1834年(天保5)、徳島城下住吉島に生まれ、1910年(明治43)、76歳で世を去りました。
全国各地の旧家や寺社などを訪ねて、古文書・古典籍・金石文等多様な資料を調査、収集したことで知られています。
その研究領域は、今日でいうところの文献史学や考古学、地理学、文学、美術史学など多岐にわたる内容を持ちます。
このような学者を生む風土を持つ阿波国・・・凄いですネ!!
「道は阿波より始まる」を読んでいて、それを理解する為に、たくさんの勉強をする必要も感じました。
地理に関しては専門分野なので、比較的理解出来ますが、「万葉集」もぜひ読まなくてはと痛感しています!!
そして、古代の人の視線で物事を考える事も大切です(^^~
古代の船で阿波へと向かう時、船は小さくて島に沿って進む事でしょう。
「阿波への道」と書いて「阿波路島」・・・「淡路島」・・・!!
手前の島は「沼島」です♪
「眉山」がこんな感じで見えていた・・・と思っていました・・・!!
「道は阿波より始まる」(その一)にこんな文章が・・・
現在は眉山と呼ばれていますが、この理由がまたお粗末。船王の歌「眉の如、雲居に見ゆる阿波の山」よりこの以之山を眉山と名付けたといわれています。船王が武庫浦を舟出した当時の倭船に乗り、阿波をめがけて漕ぎ渡る船より見えるのはつるぎ山系の山々・・・。
う〜ん・・・奥が深い・・・(^^~
徳島市国府町、来延山のふもとにある「阿波史跡公園」です!!
なんと素晴らしい施設でしょう(*⌒▽⌒*)♪
公園の入口付近にある「宮谷古墳」です!!
この脇を登って行くと天照大御神が眠る「天石門別八倉比売神社」があります!!
なんというロケーションでしょうか\( ^ o ^ )/
今年の春は、この「阿波史跡公園」へお弁当を持って行き、芝生に寝転んで「道は阿波より始まる」を読みたいものです・・・(*⌒▽⌒*)♪
私の生まれ育った川田村の事を書いた「川田邑名跡志」です!!
私が生まれた時は、麻植郡山川町川田でしたが・・・(^^~
原著は1788年(天明8)、6冊からなり、原本の所在は不明、1888年(明治21)の写本です!!
川田村とその周辺の歴史と地理が書かれています!!
「名東県 明治七年忌部神社再興調」
1874年、国弊中社忌部神社の所在は、いったん麻植郡山崎村に決定しました。
この資料は、そこまでに至るまでの経過を示す関係文書の写しを綴ったものです。
小杉榲邨の名前が見えます!!
「阿波国御衣御殿人契状写」
小杉榲邨の忌部神社比定考証の決め手となった文書です!!
「国幤中社忌部神社履歴」
西端山側の運動の先頭に立った折目栄によるもので、関係文書や物証の写生図などがまとめられています。
小杉の考証への批判がどのように展開したかが克明にわかる資料です。
こんな絵がありました!!
私が当時に生まれていたら・・・絵師になれたでしょうか・・・(爆笑)!!
阿波ではたくさんの学者が研究を重ねていたのですネ♪
(*⌒▽⌒*)♪