徳島県名西郡石井町浦庄に「諏訪」という場所があります♪
ここに、式内社 阿波國名方郡 多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社があります!!
神社名の「祁」は・・・本当は「ネ」に「阝」なのですが・・・感字が出て来ませんでした(>_<)
祭神は「建御名方命」
タケミナカタノミコトです(●^o^●)♪
タケミカズチと力比べをして負けてしまったタケミナカタです\(◎o◎)/!
「徳島県史」(巻一)によると、名方郡の名は、「古事記」の建御名方神に由来するとあります。
林博章著「倭国創生と阿波忌部」の「名方郡の阿曇族の移動とタケミナカタ神」によると・・・
このタケミナカタ神は、出雲神話に登場する神として知られる。
「古事記」(上巻)によると、コトシロヌシが国譲りを了承すると、天孫タケミカズチは大国主神に対して他に天つ神にはむかう者はいるかと尋ねる。
すると、大国主神はもう一人の御子・タケミナカタの名を挙げるのだ。
そこで、タケミカズチとタケミナカタが千引きの岩で力比べを行うと、タケミナカタは負けて逃げ出した。
そこでタケミカズチは、信濃国の諏訪まで追いつめて降伏させるのだ。
現在、そのタケミナカタは長野県諏訪市の「諏訪大社」に祀られている。
しかし、肝心の出雲神話の主役たるタケミナカタは「日本書紀」には見えず、「古事記」の大国主神の系図にも記されていないことから、後世となって出雲神話に挿入された考えられている。
このことについて松前建氏は、「出雲風土記や延喜式神名帳には、タケミカズチもコトシロヌシも
タケミナカタの神々の社もなく、伝承も記されていないから、これらの神々が登場する話は、大和朝廷の理念的産物に過ぎない。」と語るように、タケミナカタの痕跡は出雲国には見いだせない。
では、タケミナカタが出雲神でなならば、何処の地域の土着神を大和朝廷は出雲神話に編入させたのであろうか。
その答えもまた阿波であった。
タケミナカタの神名は、阿波国の名方郡こそが、その由来なのであり、その信仰拠点となったのが、式内社「多祁御奈刀弥神社」(名方郡条)であった。
当社は、祭神を建御名方(たけみなかた)神とし、名西郡石井町浦庄字諏訪に鎮座する。
「阿波志」には、「諏訪村には延喜式小社の多祁御奈刀弥祠あり、それは建御名止美神なり。
諏訪は今、阿府志に多祁御奈刀弥神社は諏訪に在り諏訪大明神である。
それは大己貴命の御子なり。
御母は阿波の高志の沼河姫命天水塞比売なりと云う。
崇神帝の朝に素都乃美奈留命を高志の深江に国定め、その所南海の内に美奈刀(みなと)生まれ給う。
この御名方命は、即ち阿波国の諏訪の里の諏訪の神なり。
高志の庄は元は名西郡高志の郷にして、後世、麻植郡の或は、一小郡を加えたるを以て今の牛島村なる高志良(こしら)と唱う地なるべし。