徳島県吉野川市山川町鼓山・・・山川町の西端で、すぐ西は美馬市穴吹町となります。
「鼓山」、ちょうどJR徳島線のトンネルとなっている上から見た、吉野川に架かる「岩津橋」です♪
ここは吉野川が、中流部で狭くなった場所で、地形的・文化的にも徳島県北部を東西に分ける地点でもあります!!
この坂道を下って行くと、山川町西川田地区になります♪
JR徳島線(かつては徳島本線と呼ばれていました)の川田駅がこの先にあります!!
かつては鉄道は川田駅(旧舟戸駅)まででした。
この地点から徳島平野が吉野川下流に向かって広がります(●^o^●)♪
坂道を下る途中に「舟戸社」という「小祠」がありました♪
坂道を下って少し行ったところに「金木神社」があります♪
「説明版」は、「金木神社」についてではなく・・・石段の左手にある「バクチの木」のものです(笑)!!
「バクチ」とは・・・
暖かい地に生えるバラ科の常緑高木で、次々と樹皮が落ちて木の肌をあらわすので、ばくちを打てば、衣類まではがされることからこう呼ばれています(笑)!!
「金木神社」は「種穂忌部神社」の摂社で、祭神は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」、「若子命」の2神です!!
拝殿の背後には、信仰主体となる巨厳があり、その岩陰の部分には、数個の小祠が祀られた「岩陰祭祀」が見られます!!
岩陰は、洞窟と同じく旧石器・縄文時代以来、住居または宗教的儀礼の場として利用されてきました。
拝殿は概ね中世以降のものであることから、当地は先史時代より岩陰祭祀の場であったと考えられます。
この「狛犬」は・・・何にたいしておかれているのでしょうか??
「岩陰」・・・それとも背後にある「種穂山」・・・???
この「金木神社」が鎮座する「鼓山(つづみやま)」は、「阿波忌部」ゆかり深き由緒をもっています♪
「忌部神社本綠」には、「天日鷲命が天磐船に乗り、穀(かじ)木及び粟の種子を持ち携え、種植る地を探し、豊葦原中国の最も優れたる地である鼓嶽に船を止めた」とあり、高天原から天日鷲命が天磐船に乗り、麻・穀・粟の種子を携え、豊葦原中国の最もふさわしい肥沃の地であった「鼓嶽」に、その磐船を止めた故事が由来となっています。
ここ「鼓山」は、天日鷲命の降臨地伝説を伴う聖地なのでした!!
「忌部」研究の第一人者、林博章氏の著書「日本の建国と阿波忌部」を参照しています♪
この本が欲しい方は、私に言っていただければ手配出来ます!!
定価3000円と送料500円になります(●^o^●)♪
私の遺跡探索マシン(笑)の、ヤマハセロー225すえドンスペシャルです(*^^)v
(●^o^●)♪