寒い1日でした!!
午後からは雨がみぞれに・・・今晩降ったら積もるかも・・・。
今日は年賀状書き・・・まだまだあります(爆笑)!!
自治会の会計の報告書の作成・・・(^ ^ ;
そして買い物と雑用がたくさんありました♪
さてと・・・今年の「すえドンの5大ニュース」の第1位は・・・!!
「忌部(いんべ)」との出会いでした(*⌒▽⌒*)♪
日本古代史の舞台で活躍したとされる「忌部氏」・・・。
その「忌部氏」とは・・・一体何者なのでしょうか???
忌部研究の第1人者の林博章先生の著書から引用させていただくと・・・
一般的に「忌部」とは何か?との素朴な問いを説明すると、「穢(けが)れを忌(い)み嫌い、神聖な仕事に従事する集団」との意味を持ち、上代からヤマト王権の宮廷祭祀具の製造や神殿・宮殿造営に従事してきた名門氏族であったといえる。
日本各地を開拓した阿波忌部の足跡「安房(あわ)国編」〜古の「古語拾遺」の記憶〜
2006年に発行された林博章先生の本です♪
実は私はこの本を本屋で見つけて購入したのですが、悪いクセで(笑)パラパラっとめくって積んでいました・・・(^ ^ ;♪
私はこの頃、「すえドン」の「須恵」を調べていました♪
インターネットで検索していると、何故か千葉で「須恵」という言葉がよく出てきたのです(^ ^ ;♪
「須恵」は焼き物をしている場所にある名前です。
ふと、「安房国編」の事を思い出して読み出したのが今年の事でした(^ ^ ;・・・。
とっつきにくい内容ですが、読み出すと「これは凄い!!」とたちまち虜となってしまいました(^ ^ ;♪
何故、千葉県なのか・・・。
それは「阿波忌部」が海を渡って「房総半島」に辿り着き、その場所を開拓したため「安房」という地名が残ったのです!!
その頃、徳島県では次々と考古学の大発見があり、私は考古学を勉強しなおしていた時でもありました!!
林博章先生の事をインターネットで調べていたら、地元吉野川市の鴨島公民館で「阿波忌部講座」が開かれる事を知りました!!
そして「阿波忌部講座」とともにこの本が出版されたのです♪
「日本の建国と阿波忌部」〜麻殖(おえ)郡の足跡と共に〜です(*⌒▽⌒*)♪
これは凄い本でした!!
よくもこれだけ調べたものだと感動しました(^ ^ ;♪
そして私のバイブルとなったのでした(*⌒▽⌒*)♪
左の高い山が「阿波富士」こと高越(こうつ)山、そして右の山が種穂(たなぼ)山です。
徳島県吉野川市山川町にある山です!!
私の住んでいる町でもあり、ここの住人は誰もが「忌部」という名前を知っています!!
しかし・・・それが何なのかというと、知らない人が大部分かもしれません(^ ^ ;
この2つの山は「忌部」にかかわりのある山なんです!!
我が家の庭から見た「高越山」です♪
私は毎日この山を見て育ちました(^ ^ ;
小さい頃から、この「高越山」が一番きれいな山だとも思っていました(^_^)~
多くの人々の信仰の対象となっている霊山でもあります。
正面の山が「種穂山」です♪
右の川は「吉野川」。
「阿波忌部」の祖神「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」降臨したといわれるのが種穂山です♪
種穂山の頂上には「種穂忌部神社」があります!!
種穂山の頂上、種穂忌部神社の境内から東の方向、吉野川の河口を見た写真です♪
少し霞んでいますが、晴天の時にはこの先に「阿波」の国名の由来となった「粟島(善入寺島)」があります!!
「粟(あわ)」がよく実る島として「粟島」と呼ばれていました。
そして、その先に鳴門、そして紀伊水道まで見渡す事が出来るのです!!
「阿波忌部」はこの種穂山から、吉野川の流れの情報を知り、忌部のコントロールセンターとしての役割を果たしていたようです(^ ^ ;
種穂忌部神社を西に少し下った所に「覗き石」と呼ばれる巨岩があります!!
斜面にテラス状に出ていて、眼下を見渡す事が出来ます(^ ^ ;
対岸の地名は「拝原(はいばら)」といい、種穂山・高越山を拝む原っぱの意味です!!
吉野川市山川町忌部にある、天日鷲命を祀る名神大社「山崎忌部神社」です♪
今年の秋に、出雲の玉造温泉に行きました!!
温泉に入りに行ったわけでなく、その近くにある「忌部神社」を訪れる為にです♪
神社の手前には「忌部川」が・・・。
忌部神社へと続く石段です♪
「阿波忌部」は日本各地に足跡を残していたようです!!
それも歴史を変えてしまうほどの重大な足跡を・・・。
徳島の歴史は調べれば調べる程、不思議な場所だと実感できます。
何か隠された歴史があるのではないかと思ってしまう程なんです♪
私を夢中にさせた「阿波忌部」・・・これが今年の第1位だと私は思います♪
今年もあと明日の31日のみ・・・。
明日は恒例の、「そば打ち」です(*⌒▽⌒*)♪