今日は徳島県鳴門市大麻町萩原で発掘調査中の「萩原2号墓」の現地説明会へ行ってきました。
午前10時からの説明会なので1時間で到着するだろうと思い、午前8時半に自宅を出発します。
途中、吉野川の写真を撮ったりしていたら臨時駐車場の大麻中学校に到着したのが10時前となってしまいます(^ ^ ;
現地説明会の受け付けのあるテントまで約10分歩きます。
県道鳴門池田線から少し北へと入ったこの山の山頂付近に「萩原2号墓」はあります。
国内最古の石積み墳丘墓の発見とあって多くの古代史ファンが詰め掛けていました!!
場所が狭い為に80人で区切って入れ替えで見学するシステムとなっていました。
私の整理番号は191番、3回目のグループとなりました。
1回に30分程かかる為、受け付け付近でパネル説明を聞き予備知識を仕入れました♪
「萩原2号墓」への山道はこんな感じです(^ ^ ;
頂上付近です!!
思っていたより近かった(^_^)~
この場所は阿讃山脈の尾根で、「萩原墳墓群」が1〜4号まであります。
「萩原1号墓」が1979〜80年に県道鳴門池田線の工事の時に発掘調査されています。
2000年に奈良県桜井市の「ホケノ山古墳」が発掘調査され、古墳時代の初期の前方後円墳で「石囲い木槨(もっかく)」と名付けられた特種な構造をもっていました。
それが「萩原1号墓」の積石木槨と共通する特徴を持っていた事から改めて注目を集める事となりました。
これまでの調査で「萩原2号墓」は墳丘の形と築造年代(弥生時代終末期)がわかっています。
中央部(白いテープの部分)には径5cmほどの小石の集中している所があり、それが下部で落ち込んでいることから、木棺に加えて棺よりも幅広の「槨(かく)」があったことがわかります。
棺と槨は東西に長く設置されていて、上面を小石で盛り上げています。
木槨の外周は一変15〜20cmの角張った石(礫槨)です。
礫槨の外周は棺などを納める為の穴(墓壙)の立ち上がりに石の壁(石積み墓壙壁)によって囲まれます。
地表付近はこんな感じになっています。
棺の周囲を何重にも覆うていねいな埋葬方法といえます。
「萩原2号墓」の埋葬施設は積石木槨にあたりますが、「1号墓」のものとも違う部分があり、棺を低い位置に置き、その周囲の構造も低く作っています。
こうした方法は投じの埋葬施設の作り方の変遷からみて「萩原1号墓」よりも、さらに「ホケノ山古墳」よりも古くなるそうです。
奈良盆地東南部において前方後円墳が生み出されるにあたっては、周囲の各地域の要素が取り入れられているそうです。
最近の研究では、阿波や讃岐からも、赤い顔料(水銀朱)を多く使うことや埋葬施設の形のように古墳の中心を占める部分に影響を与えたと考えられるようになったきたそうです。
今回の調査により、そり影響が非常に大きなものであったことが確かめられました♪
この説明の内容は「徳島県埋蔵文化財センター」の「現地説明会資料No.50」から引用させていただきました(*⌒▽⌒*)♪