西龍王山(495m)の中腹に役の小角(えんのおずね)の創建と伝えられる「建治寺」(真言宗)があります♪
駐車場です♪
駐車場からの眺めです♪
本堂へと向かいます♪
右側に本堂があります♪
お寺ですが・・・狛犬が・・・あります♪
当地は空海が四国巡錫の際に修行に最適な霊地として逗留したという伝承を持っています♪
建治寺縁起
当山は白鳳時代天智天皇(661~671)の頃、役行者(神変大菩薩)の開基にして金剛蔵王大権現を本尊として祀る。
その昔、役行者が大峯山にて、かかる末世の衆生を救済すべく濁世降魔の尊をと祈念すれば、一天にわかに曇り大地鳴動して出現されたのが金剛蔵王大権現である。
弘仁年間(810~824)、弘法大師四国巡錫の折、当山に登り霊験あらたかなその聖地に感じ入り、修行場所として最適な霊地と逗留されることとなった。
大師修行中、ある夜、本尊金剛蔵王大権現を感得し、斎戒沐浴して御尊像を彫刻、深く岩窟の奥に安置し祀られた。
本尊金剛蔵王大権現は、右手に三鈷杵をいただき、左手は刀印を結び腰に安んじて、右足は虚空を蹴り、左足は強く大地を踏みしめる。
御身の青黒なるは大慈悲をあらわし、右手の三鈷杵は魔障を避け、左手の刀印は降魔の利剣。
右足は天魔を蹴散らし、左足は地下の悪魔を踏み砕く。
御身青黒色にして恐髪逆立ち、裂けんばかりの口には阿字を含み、睨みすえる眼はまさに忿怒の形相で、心悪しき物には恐怖と戦慄を覚える御姿である。
時代は下って、天正十三年(1585)蜂須賀家政が阿波藩主として入国後、豊臣秀吉の征朝郡に従い出陣することとなったが、戦況不利となり苦戦をしいられていたある晩、夢枕に白髪の翁が現われて勝利に導く霊示をされた。
半信半疑不思議に思いはしたものの、お告げの通り軍を進めたところ大勝を博する結果となり、大いに喜ばれた。
凱旋後、その仙人の風貌をした白髪の老翁こそ、建治寺の本尊金剛蔵王大権現の化身であったことが判り、藩公深く畏敬して城の守り本尊となすべく城下(眉山麓)に一寺を建立し、金剛蔵王大権現並びに薬師如来を勧請して寺号と共に移したのである。
これが現在の大滝山薬師であり持明院である。
然るにそれ以後というもの、寺に奇異なる現象が頻発し、藩公大いに恐れて高僧に伺いをたてさせたところ、本尊が元の建治寺にに帰山を望まれていることがわかった。
しかし、藩公は御本尊を手放したくないため、仏師に建治寺より持ち帰った御尊像に似せて、もう一体の金剛蔵王大権現を作らせた。
礼を篤くしてそれを当山に祀り安置したもののの、寺における変異は続き、困り果てた末、遂に薬師如来を残して弘法大師御作の御本尊を返されることになった。
故に、阿吽二体の金剛蔵王大権現像(弘法大師作は阿形、蜂須賀公の彫らせたものは吽形)が建治寺の岩屋奥に祀られ、今に到っている。
厄除大師です!!
菊の紋が・・・
「玉姫大明神」です♪
「常夜灯」です♪
この「常夜灯」は紀伊水道を航行する船の目印にもなっていたと伝えられています。
江戸時代、津田の漁民がシケのために遭難しかかった時、その明かりに助けられて無事に帰港したといいます。
「常夜灯」からの眺めです♪