10月も今日で終わりです・・・。
早いですネェ・・・。
阿讃山脈を背景に、郡里ジマの沖積地が眼前に開ける景勝の地に「天都賀佐比古神社」は建っています♪
延喜式内社「あまつかさひこ」神社です♪
この由緒ある延喜式内社「天都賀佐比古神社」・・・実は最近まで雨漏りのために屋根にはブルーシートがかけられていました・・・。
しかし・・・この夏、改修工事が行われたのです♪
仕事でこの神社の横をよく通るので、いつも気にしていました(*^。^*)♪
この社は、もと現在の約200m西、字高畠にありました。
創立年代は明らかではありませんが、延喜式内社としての天都賀佐比古神社に比定されています。
既に平安初期から尊信を集めていたようです!!
古くから「轟さん」と呼ばれていて、旧郡里里分の総氏神として崇敬され、「風の神」として知られています!!
昔からの言い伝えとして、この神前を乗馬で横切ったり、頬かむりで通ると、勢いよく投げ出され、また前の吉野川を西上する舟が帆をかけたまま通ると転覆するといわれています!!
それで、このような災難を避けるため、御神体を北向きに鎮座してあるといわれ、古いお札には「日本一社北向鎮座」と記されています♪
「美馬町史」を参考にしました(^-^)!!
こちらには「卍」のマークが・・・。
「日本書紀」六年条
「これより先に天照大神・倭大国魂神の二神を宮の内に祭っていたが、二神の勢いをおそれて別々に祭ることにしました。
天照大神は豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に、倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)に祭り、倭大国魂(やまとおおくにたま)神は淳名城入り姫命(ぬなきいりひめのみこと)に祭らせたが、髪が抜け落ち、体が痩せて衰弱して祭ることができなかった」と記述している。
天照大神を祭った倭の笠縫邑(かさぬいむら)とは、式内社「天都賀佐比古神社」(美馬市美馬町轟)の鎮座している地域である。
美馬町郡里は、古くから和傘の製造が行われていたところである。
美馬地方には多くの古代遺跡があり、古くから開けていた地域であることを証明している。
倭大国魂神社は美馬市美馬町重清に鎮座している。
髙木隆弘著「記・紀の説話は阿波に実在した」より抜粋しました(^-^)!!
境内の西隣には「若宮神社」がありました!!
ベンチとして利用されていた「阿波の青石」、結晶片岩です♪
古墳に使用されていた可能性も・・・。
鳥居を越え、狛犬が座る後ろに神木がありました!!
意味があるのでしょうネ♪
この神社のある旧美馬郡から旧三好郡にかけて、よく「風の神」「雷の神」というのを聞きました!!
雷の通り道に、それを祀った神社があると・・・!!
この神社のすぐ西には「段の塚穴古墳群」があり、そのまた西には「郡里廃寺跡」という白鳳時代の寺院跡があります!!
そしてすぐ南の吉野川の河川敷には青石の岩山が・・・。
ここはかつての徳島県のトライアルのメッカ、全日本大会も開催された場所なんです♪
私はここでせっせと練習に励んでおりました・・・(^-^)♪
(*^。^*)♪