7月に描いた「鉛筆画」は3枚♪
1枚目は、徳島県美馬市美馬町の「寺町」にある「願勝寺」です(^-^)♪
山門からのぞいた本堂を描いてみました♪
画面が少し「モアレ」していますので・・・画面をクリックして大きくして見てください(*^_^*)!!
「モアレ」が解消されますので・・・(*^^)v
この「鉛筆画」は、徳島新聞のタウンニュース「ミマインター8月号」の表紙に使ったものです♪
(*^_^*)♪
2枚目は、徳島県美馬郡つるぎ町貞光にある「旧永井家庄屋屋敷」の「寝床」です♪
納屋ですネ!!
とっても立派ですけど・・・(^-^)♪
展示施設となっていて、無料で入ることが出来ます♪
「二層うだつの町並み」から少し西に入ったところにあり、「穴場」ポイントですヨ!!
この「鉛筆画」は、地元の徳島新聞専売所のタウンニュース「ゆうま8月号」の表紙に使ったものです♪
(*^^)v
3枚目は、徳島県美馬市美馬町重清にある式内社「倭大国魂神社」です♪
これまた徳島新聞のタウンニュース「しげきよ8月号」の表紙に使ったものです!!
毎月3枚の表紙を描いているのです・・・(@_@;)♪
「鉛筆画」を描くのに使った写真を・・・公開してしまいます・・・(^◇^)♪
私はいつも自分で撮った写真をベースにしてイラストを描いているのです!!
実は・・・この神社・・・とっても凄い神社なんです・・・!!
徳島県美馬市美馬町の重清地区、県道鳴門池田線の北にある重清西小学校のある高台へ!!
小学校の北にはこの八幡神社があります♪
神社の西側にある石段を登ると・・・。
ここからは・・・少し「古代史」の世界へ・・・(^-^)♪
「倭(やまと)」というと・・・
もっとも狭義の「やまと地方」・・・(大和国の一部)・・・に成立した政権が、奈良盆地全体を勢力下におさめ、これを基盤として日本全体に支配をのばしていったために、「やまと」の語が次第に広い意味に用いられるようになった・・・というのが学界の常識となっています。
つまり・・・「倭(やまと)」は・・・「大和」で・・・「奈良」・・・が常識になっている・・・のです。
古事記や日本書紀の古代の文献には「倭」と「大倭」の2種類の表記があります!!
通説では令制時に国名を「倭」から「大倭」に改称したと考えられています。
私は・・・「倭」は「阿波」の古名・・・、「大倭」はもとより奈良地方の旧名だったと思っています♪
令制時に「倭」は「阿波国」に、「大倭」は正式に「大倭」に定められ、その後「帝都」は阿波から奈良大倭へ遷されたのです(^-^)!!
「大倭」が古事記にあらわれるのは2か所のみ・・・
イザナギとイザナミが8番目に「大倭豊秋津嶋」として生み出しました♪
これを本州とするのは、少し無理があり・・・奈良地方の名だと思われます!!
「倭大国魂神社」は「日本書紀」で第十代崇神天皇が祀ったと記され、倭国以外の国では祀られることのない神社です(^-^)♪
全国3132座の延喜式内社の中で「倭大国魂神社」が定められているのは・・・実は阿波一国のみなのです!!
一方、奈良大和には「大和坐大国魂神社(おおやまとにいますおおくにたまじんじゃ)」が定められています♪
阿波国美馬郡 倭大国玉神大国敷神社二座
大和国山辺郡 大和坐大国魂神社三座
倭大国魂神社は、崇神天皇が伊迦賀色許雄命に命じて、倭の地に祀ったとの記事が「日本書紀」にみえます♪
イカガシが出てきました(^◇^)♪
「日本書紀」の崇神天皇の六年に・・・
天照大神・倭大国魂の二神を皇居内に祀りますが、神の勢いが強く、不吉なことが起こるので、天皇は翌年、孝霊天皇の皇女で巫女(シャーマン)のヤマトトトビモモソヒメに憑依させて神意を問うと、「我は是倭国の域の内に所居る神、名を大物主神と為ふ」と神の語があり、さらに夢の中で、神の血脈にあたる「大田田根子命を大物主神の祭主とし、市磯長尾市を倭大国魂神の祭主とすれば必ず天下太平ぎなむ」と告げられた。
そこで両名を求めて祭主とし、二神を祀ったとされています♪
本殿のある高台から、南の四国山地がこのように眺められます(^-^)!!
境内には古墳がいくつもありました!!
この周辺にはたくさんの古墳があるのです(*^^)v
淡路島で見た「大和大国魂神社」です♪
奈良の「大和坐大国魂神社」は、まだ行ったことがありません!!
阿波国美馬郡に二座ある、もうひとつの「大国敷神社」です♪
屋根の菊の紋が・・・。
「大嘗祭」の「阿波に秘められた古代史の謎」より引用させていただきました(*^_^*)♪